|
前回までは上高田の概要、また大まかな位置付けなどご紹介してきましたが、今回からは当時の行事や農作業についてご紹介を致します。大正から昭和にかけてのつい何十年前かの様子ですが、私を含め現代の方にとっては大変興味深い当時の様子を垣間見る事ができると思います。
■十月の行事 氷川神社の祭礼■
私の小さい時代、大正五、六年頃の氷川神社の光景を思い浮かべてみたり、古老に確かめたりした。当時の氷川様の境内とその付近の様子は次のような具合だった。
今の区役所出張所(旧)の方から雨で洗われて、所々に凹凸の有る割りに長い下り坂で、荷物を満載した手車には一苦労する道で、坂下が神社の入り口でなお直進すれば東光寺へ通ずる。
坂の右側は清兵衛さんの雑木山があり、東へお不動様、カロリン菓子工場、さらに万昌院から東の洗い場まで雑木山であった。工場下には山下田んぼへの急坂が一本あった。秋にはこの辺の雑木山からはよく野兎が飛び出して来た。
 大正時代、不動様上山下への道 |
 大正6年頃の氷川神社 |
さて、氷川様の秋の祭りは村民の最大の娯楽であった。
村内総出で清掃、神楽殿、社の準備をする祭りの日は、昔から稲の刈入れも済んで一息つく十月三日と決まっていた。
今のように神輿が大人から子供まであるわけでなし、山車の太鼓があるわけでもない。すべて手作りである。鈴木磯五郎さんの義弟、茂次郎氏や遠藤秀喜代さん達が子供神輿を作ってくれる。
底の丸い竹ざるに買い集めた諸材料、まず笊のまわりに金銀の紙をはりつけ、これも手作りの鳳凰を金紙で立派な鳥らしくし、氷川様の巴の紋を笊の四方にはりつける。上から七色のザンザラ飾りを下げ井型に組んで、紅白でつつんだ丸太の上に固定すれば見事な素朴な子供神輿が出来上がる。
大人の神輿は、井型に結んだ担ぎ棒の中央に板を敷き、この上に人樽や醤油樽をいくつも固定し子供神輿と同じように飾りつけ、紅白の紐や鈴、ザンザラという木の沢山の束を赤、白、青に染めたのを飾りつけ、上に金紙で飾った鳳凰を立てて作ったようだ。
|
 遷宮上棟式(大正15年10月)
|
都内でも有名な上高田の大神輿は遷宮式記念とし、後に行徳で作った物で白木で彫刻の見事さ、重量感は幸い戦災にも残った貴重な物である。山車の大太鼓もこの時注文し、購入費は当時の金でしめて三千円といわれる。重量一トンである。
我々子供の太鼓は丸太棒につるして前後でかつぐ。 |
こんな神輿や太鼓でも子供達は大喜びで、村中をワッショイワッショイと担ぎまわる。上高田囃子の響きや神楽鼓のカン高い音で宵宮の幕があく。
神社の下、お不動様への両側には露店がいっぱいならび、今のように電気がないのでアセチレンガス燈特有の臭いを放ちながら店もならび、舞台のまわりの提灯に火がともるとお神楽が始まる。
| 神楽師と三日の本祭りの芝居役者は、市川富之助、市川団七、紋次、萩原さん達だった。神楽の間に色々面白い登場人物が出て、子供にも一応こんな神楽を通じて昔の色々の神話が自然に覚えられた。
三日の本祭りには田舎芝居の出し物が出て、大人の楽しみの番で夜更けるまでつづく。芝居の役者は人数が多いので一人で早替りし、次の役の支度をする。そのため舞台の下に風呂をわかし、白粉落としに入浴する。そのため村人の中から色々な世話係が決められた。
|
 古い松の有った時の社
|
女の役者も何人か出るので風呂当番を引き当てた者は大喜びしたとか。
幕間などには出店を見るのも楽しみで、昔から今まで変わらず同じなのは砂糖の綿菓子ぐらいで、何といっても香りといい味のよいのはサザエの壷焼きで、今のように小さくなく大人のゲンコツ大のが七銭ぐらい。
その他焼き団子、それも本式に醤油だけにつけて焼いたもの、鰹節のダシのたっぷりかかったおでんの大きいやつ、焼きはまぐり、するめ焼き等はまじりものの入らぬ本物の味で忘れられない良さがあった。
子供のかむる玩具の面も今のドラエモンや宇宙人のようなものでなく、和紙の手作りの狐、オカメ、ヒョットコ面。
|
 新社殿
|
竹製の青や赤の輪の色付けした竹筒から針金で勢いよく山吹の芯を打ち出す山吹鉄砲、一名紙鉄砲、飴、ゴム風船や色々な古風なおもちゃ類で、子供の心、食欲をそそるものばかりで楽しかったが、店の品物は今と昔では全く変わってしまっている。 |
そして、素朴でそれなりの価値があり、今のような子供の小便銭をひったくるような射倖的なものはほとんどなかった。
祭りの翌朝は、お不動様への道にはアセチレンガス用のカーバイドの白い粉や、さざえの壷焼きの殻の山がいっぱい積んであり、ああこれで今年の祭りも終わったんだな、という気持ちになった。
次回は農作業「麦つくり」についてです。お楽しみに。
●ふる里案内人● 花岡哲也 (株)花岡製本所(製本一級技能士)
小学校4年生から上高田の住人となり、現在は新井に在住。偶然にもある一冊の本を開いた時、小学校時代の友人、鈴木さん宅に何度かお邪魔し、遊んだ事が思い出されてきました。もう40年も前の事です。鈴木宅は昔からの上高田の面影を今も残し、時代の流れを気にせずに悠々と時を過ごしています。製本職人の性でしょうか、この時代の流れを記した素晴らしい本から上高田や近隣、中野区の昔を代弁したくなりました。
今は昔 上高田編(1)
今は昔 上高田編(2)
今は昔 上高田編(3)
今は昔 上高田編(4)
|