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寂聴さんが暮らした野方
| 中野区の生涯教育「ことぶき大学」に自分史という講座があり、高齢者のあいだで人気があるようです。そこでは、「自伝を書くほどの波乱がないという人でも、生きてきた過程を時計の針の1から12になぞり、12の場所を選びなさい。その頃の自分とその周辺を書きなさい」と指導されるようです。それを意識すると、わたしも比較的容易にペンが進むように思います。 |

野方商店街にある笑い地蔵尊 |
あの頃、新宿から出ている西武新宿線の野方駅もこぢんまりして、電車から降りると、ほっと心がゆるむような駅であった。南口に出るとすぐ商店街が東西に流れており、駅前からその道を東へ歩くと、たちまち野方郵便局の前に出た。そこからまっすぐ南へ伸びた一本路があった。道の両側は、変哲もないしもたやがつづいていて、少し歩くと小さな川にさしかかる。橋とも気づかず、つい通り過ぎてしまうようなささやかな橋がかかっていた。端の右側の袂に、間口のせまい古道具屋があって、道路まで品物がはみだしていた。
(瀬戸内寂聴 「場所」 新潮社)
この散歩帖を執筆するにあたって、まず頭に浮かんだのは、寂聴さん、というより瀬戸内晴美の暮らしていた野方の街です。「場所」というこの小説の端的な題名は、この夏新聞広告で見ましたし、そこに野方や中野本町通が取り上げられていることで知っていたのもあります。秋風が少しつめたく感じられる10月のある日、西武線野方駅からこの小説をたどって歩き始めました。
野方の街は、平成も13年というのに昭和の30〜40年代の雰囲気がかなり色濃く残っています。昔から野方は自足的な町といわれ、とりあえず、そこで生活の万端を整えることができました。
| しかし、今は小説のなかにあるような3本立ての映画館はありませんし、古道具屋も見当たりません。男と女が肩をよせあって酒を飲んでさまになるような店があるかどうかは、夜にならないとわかりませんが、2人でコーヒーを飲むというよりは、わりなき関係の2人がラーメンをすする、そう感じさせる街ですね。 |

野方ヤホーロードの入りの洋品店 |
商店街から川のほうに一歩入ると団地があって、急に静かな佇まいになります。あまり知られていませんが、大正時代の地図によると、このあたり一帯は、総理大臣というより海軍大将として有名な山本権兵衛の別邸の跡地です。この日、近くの幼稚園から運動会の子どもの歓声が聞こえていました。
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| 墨染めの人が歩いていても似合う |
路地の奥にひっそりとその家が |
小説のなかで主人公が橋を渡って帰る家は、住所としては大和町ですが、たしか野方に近いところにあると思いました。この路地を曲がって、この階段を上がって…、「ここだ」。奥にその家を見つけました。なにやらドキドキして、ストーカーになったような気分です。
その裏はどこか貸し植物会社の植物園になっていたので、2階の窓からは広々とした植物園が見下ろせて東京とは思えない静けさであった。この家に住んだときから、私たちの身辺には事が多くなってきた。
(瀬戸内寂聴 「いずこより」 瀬戸内寂聴全集第五巻・長編3 新潮社)
この小説の記述がヒントになりました。小説内の植物園は現在、川沿いのマンションになっています。
| 瀬戸内さんが中野に暮らしていた頃は、たしかに出来事が多い時代であったようです。女の生涯の逢魔が時だったのでしょうか、ひとつ間違うと命が危うかったと思います。恋愛といい、文学的営為といい、ふと「捨身飼虎図」という絵が頭に浮かびました、野方の町は、瀬戸内さんにとってそんな時代に似つかわしい場所ではなかったでしょうか。 |

大和町も杉並区境に近い蓮華寺 |
引越し先で出会う他人の娘に注ぐまなざし。この小説の読者はそれが通奏低音のように響いていることに気づくべきでしょう。やがて妙正寺川に近いこの家を離れて、作家としての地歩を固めていく過程でこの作者が暮らすことになる関口台町を流れる江戸川、本郷に近い神田川、女子大時代の善福寺川、これがみな同じ水系にあることを東京散歩人としてはおもしろく思いました。
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| 振り返れば昭和という時代が |
高円寺より大和町に入るゲート |
「行く川の流れはたえずしてもとの水にあらず」。我に返れば無常という言葉とは無縁の、あの日に帰るすべもありません。高円寺へ向かうなか大和町の狭い路を適当によぎりました。戦前に建てたと思われるモダンな住宅とアパートの混在する、もっとも中野らしいところです。金木犀の蝋のまじった匂いが漂っていて、歩く人も少ない静かな午後でした。
高円寺からさらに南下して、青梅街道を東に行けば、この小説におけるもう一つの場所、中野本町通に行くことができるのですが、それはまたの日にすることにします。
2001年10月
散歩人紹介
西山五右衛門(にしやまごえもん)
東京散歩人あるいは路地裏の散歩者を名乗っている。そもそも、まち歩きのきっかけは、10年ぐらい前に金属製のコンパクトカメラの冷たく重い感触にひかれて衝動買いしてしまって、何を撮ってよいか分らず、いろいろな町の住居表示を写して歩くことにしたことにはじまる。もとは山の帰りに地方都市を歩いていた。読書傾向はもっぱら日本志向で趣味は古社と秘湯それに・・・・・・・
第1回:寂聴さんが暮らした野方
第2回:中野長者が住んでいたまち
第3回:高村光太郎がひとりを生きた桃園
第4回:鷺宮の壷井栄とオリーブの緑
第5回:浅田次郎が描いた鍋横
第6回:芹沢光次良と中野の空襲
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