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中野長者が住んでいたまち
その「江戸」の地に熊野権現への信仰が落とした影は濃い。「江戸名所図絵」に現れくる熊野の権現だけでも十四社。中でも大きいのは、全国に散在する鈴木姓発祥の地、藤白王寺(海南市)から武蔵野国に移住して中野(東京都)本郷の地に根を張りひろげ、新宿十二社、淀橋、角筈あたりまでの地をつかんで中野長者と呼ばれた鈴木九郎。彼が故郷の熊野十二社権現の神を勧請し、応永十年(1403)に再興したのがこの新宿十二社である。
神坂 次郎『熊野まんだら街道』 新潮文庫
桃園川緑道が神田川に出会うところで、東中野から川沿いの道をやってくる人を待つことにした。ここには、作詞喜多條忠、作曲南こうせつによるあの神田川の歌の碑が植え込みの中に置かれている。この歌を聴いて、若いがゆえに貧しく健気だった時代を思い出す人は、すでにかなりの年輪を重ねた人ということになるのだろうか。そういえば木造のアパートも少なくなっているように思える。

神田川の歌碑
今日訪ねるのは、貧しさとは反対に伝説の中野長者の地である。西から東に流れているはずの神田川は、この辺りでは南から北へ向かって流れているので、少し不思議な感じがする。この違和感は、川といえばほぼ東南に流れる関東平野で生まれたせいだろうか。
1403年という中野長者の時代はといえば、都では室町幕府の全盛時代で足利義満によって北山に金閣がつくられた頃だと思えばよい。南北朝が統一され,東国にもひと時の平和がおとずれていたのだろう。大田道灌の活躍する時代より約半世紀はやい頃である。
西から流れてくる神田川が湾曲するあたりの橋から熊野神社の方向には、もと浄水場であった西新宿の高層ビル群がまじかに見える。そこは中野台地と幡ヶ谷台地のあいだを流れてきた水が、そのまま広がる遊水地のような湿地ではなかったのか。こうなると宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」の水の世界が思い浮かぶ。あの映画ではその中を電車が走っていくが、ここでは14の系統番号を付けた都電がふさわしいと思った。そんな湿原を開拓したのが中野長者で、山中の滝と違って、蛙や水鳥がいるような水辺では、龍よりも蛇の話しががふさわしいと思うがどうだろう。

伝説の絵解き
「莫妄想」・妄想すること無かれと書かれた文字を横目で見て、その名も多宝山成願寺の山門を入ると、東京府史蹟中野長者遺跡という大きな碑が立っている。もともとは、長者は荒ぶる魂を持った開拓者ではあっても心やさしく、若くして亡くなった娘を悼んでというのが、寺の縁起ではないのか。しかし長者伝説は、強欲な長者が宝を埋蔵した場所を秘すために,従事した郎党を何人も殺害し、その祟りで娘が婚礼の夜に蛇身に変わってしまうという恐ろしい話しとして語られている。
長者は後に救済されるが、話しはこれで終わらずに、ここにかかる淀橋が、渡ったきり郎党の姿が見えなくなる姿見えずの橋とよばれ、特に花嫁が渡ってはならぬ不吉な橋として伝えられ、明治が終わる頃までも、花嫁の一行は迂回しなければならなかったらしい。
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| 明治の醸造業 |
淀橋お浄め祭 |
この中野発祥の地は、後に村と街を結ぶ青梅街道の中継地として,水車を利用した醸造業などの地場産業が発達し、新しい時代を象徴するような長者も生まれる。迷惑な橋の言い伝えは、ここで断ち切らなければならないとして、大正のはじめに、この地の有力者浅田政吉氏が、自分の縁者の婚礼を機会に淀橋のお浄めという一大行事を行ってこの橋を渡ってみせる。そのお浄めは、残されている写真の神職の数から見ても大規模なもので、古い風習を打ち破るために示した見識と、人々を納得させるために使われた費用は大変なものであったろう。世のため人のため、当時の有力者の啓蒙的役割を感じさせる話である。
淀橋は、青梅街道の拡張工事に関連して架け替えされるが、歴史的な由緒のある橋には、それなりの敬意をはらってモニュメントを残すようなことは出来ないだろうか。この地に今暮らしている人々が、土地の思い出や記憶を大事にしようとしなければ、この橋も気づかぬうちに通過しまうだけの、なんの変哲も無い小橋になってしまうだろう。
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| 改修前の風景 |
都庁舎の遠望 |
神田川をさらに中野新橋に向かえば、流れの先に都庁のツインピークがそびえて、水害に苦しめられてきた両岸の風景は、大規模な河川工事によって一変している。新橋の擬宝珠のある赤い橋に近づいたら、右側の台地にある福寿院を訪ねて、そこにおかれた蛇身の石仏の鱗にさわって見るのもよいだろう。蛇はよく商業系学校の校章に使われたように、知恵と富の象徴でもあるので、長者になる夢を見ることができるかも知れない。
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| 新橋の擬宝珠 |
福寿院の蛇身 |
2001年11月
散歩人紹介
西山五右衛門(にしやまごえもん)
東京散歩人あるいは路地裏の散歩者を名乗っている。そもそも、まち歩きのきっかけは、10年ぐらい前に金属製のコンパクトカメラの冷たく重い感触にひかれて衝動買いしてしまって、何を撮ってよいか分らず、いろいろな町の住居表示を写して歩くことにしたことにはじまる。もとは山の帰りに地方都市を歩いていた。読書傾向はもっぱら日本志向で趣味は古社と秘湯それに・・・・・・・
第1回:寂聴さんが暮らした野方
第2回:中野長者が住んでいたまち
第3回:高村光太郎がひとりを生きた桃園
第4回:鷺宮の壷井栄とオリーブの緑
第5回:浅田次郎が描いた鍋横
第6回:芹沢光次良と中野の空襲
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